2012年2月28日火曜日

「エルピーダ」とことえりで変換すると「LPだ」が最初に出てきた

最近、こちらのブログは全く更新していなかった。
だからというわけではないが、「エルピーダ民再法申請」のニュースで思い出した本があったので、引用してみる。

「われわれはなにもはじめから日本を信用していなかったわけではない。誠意を尽くして日米の協定をまとめあげるよう努力してきた。だが、その都度日本はアメリカを欺き、裏切ってきた。当然われわれも日本を友邦として扱わなくなる。再び騙されないように、交渉に身構えて臨むようになる」

これは、米国政府の対日ネゴシエイターの弁だ。
同者は続けて、こう言う。

「もし私の言い分に不満があるなら、日米の半導体協定を見てほしい」

この言葉は、手嶋龍一著『たそがれゆく日米同盟』に収められている。
同書によれば、1980年に米国61パーセント、日本26パーセントだった半導体の国別シェアは、4年後に米国51パーセント、日本40パーセントへと変化する。
当然、焦るのは米国の方だ。
しかも、——これは現在のアップルやフェイスブックなど、米国IT企業の隆盛にも通じるところだが——ハイテク産業は米国経済にとって「最後の砦」だった。
米政府は日本企業によるダンピングの存在を訴え、日米間で半導体交渉が始まる。

結果、1986年には日本政府が半導体企業のダンピングを監視するという内容で合意するのだが、これには「密約」があった。
要約すると「米国は日本国内の米国製半導体シェアが5年間で20パーセントを超えるよう、期待する」というものだ。
以下、再び引用する。

マイケル・スミス次席通商代表は、なお日本側にダメを押した。
「5年間で少なくとも20パーセント以上の半導体シェアというが、これを日本側のコミットメントと受け取ってよいのか」
これに対して、通産省(当時、筆者註)側は次のように応じている。
「そう受け取っていただいていい。(中略)20パーセントのシェアは必ず実行してみせる。われわれMITI(旧通産省の英略称、筆者註)を信じてほしい」
だが、このとき通産省の振り出した「手形」は、今日もなお落ちていない。

誤解なきようにあらかじめ申し上げておくと、私は米国の肩を持っているわけではない。
最低限の市場監視は必要だとしても、ある特定国の、特定製品のシェアを誓約するなど、無意味なことに感じる。
それよりもこの事実から、当時の「日の丸半導体」がいかに強かったかを教えられる。
エルピーダの今を見る限り、まさに隔世の感を受けずにはいられない。
「もう半導体なんか、新興国に任せればいいじゃないの」と正直言って私は思ったのだが、日本のDRAMメーカーはエルピーダが唯一の存在だという。
DRAMはデジタルテレビ、デジカメ、それにスマートフォンなど、その用途は非常に大きい。

半導体は非常に厳しい業界であるし、今回の件は残念だけれども、日の丸半導体の陽が再び上ってほしい、と願う。