2013年3月25日月曜日

予算だ……予算が全てを解決するのだ!

 ワールドスピリッツジャーナルのツイッターアカウントでも少し書いたことだけど、映画の時代考証って大変だよなぁ、とふと思う。

 ツイッターでは、映画『スパイ・ゾルゲ』でシングルモルト・ウイスキー「アードベッグ」が頻出していることについて、「おかしいのでは? 」という内容のツイートをした。というのは、当時のアードベッグはオフィシャルボトルを販売していなかったのではないかと推測できるからだ。シングルモルトのオフィシャルボトルが出回り始めたのって、ごく一部のブランドを除けば、ほんとに最近のことだし、アードベッグに関してはLVMH傘下になるまで苦しい経営だったと聞いている。だから、あの黒いラベルのアードベッグが1930年代に存在していたか疑問だし、仮に存在していたとしても(そして、開戦前夜という特殊な状況を考えなかったとしても)日本に出回る分があったかというのも疑問だ。

(以上、推測混じりに書いていることなので、誤りがあればご指摘願います)

 同じようなツッコミをすれば、渡辺謙さんが主演の『はやぶさ』にもいえることがある。はやぶさを載せたロケットの打ち上げシーンがあるけれど、その前後のシーン、つまり2003年ごろのシーンでJAXAスタッフ役の人が使っているPCがMac Book Airだったりする。Mac Book Airって2008年発表、2010年発売なのだが。

 まあ、ツイッターの方では篠田監督をからかうような口調で書いてしまったけれど、それだけ時代考証・歴史考証って大変なことなんだよなと痛感した、というお話でした。

2013年2月10日日曜日

先生、ウチは缶詰と違いますわ

ワールドスピリッツジャーナルがグーグル先生にロックされました……

久々のブログ更新で、いきなりそんな話かよ、って感じですが。
理由はグーグルのロボットが「スパムの可能性あり」と判断したから。
なので、人様の目でスパムブログじゃないことが確認されるまで、更新できません。

しかし、何が原因でスパム判定されたのか全く見当がつかない。
最初は、投稿の頻度が高過ぎるのか、って思ったけど、毎日ブログ書いてる人なんかごまんといるわけで。
……ああ、今書いてて思ったけど、リンク貼りまくってるせいもあるのかな。

大丈夫だとは思いますが、万が一、スパム判定されてしまったら、そのまま消えてしまいます。
そのときは、別の場所に移して再開か。

2012年6月6日水曜日

お馬鹿な話を一席……

あれは、たしか高校二年から三年に上がる春のことだったと思う。
今の(私から見ての)若い世代は知らないか、知っていてもあまり記憶がないだろうが、「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」というスキー場が、船橋にあった。

屋内スキー施設は狭山スキー場とか今でもあるわけだけど、船橋ですよ、船橋市!
東京駅から20〜30分の距離、しかも、あんな煙をもうもうと焚く工場が密集する船橋に、お洒落なスキーリゾートがその昔、あったんです。
バブル(正確にいえば、バブルの「名残り」)って、すげぇなぁ……

——話が逸れてしまった。
実を言えば私は、幼稚園からスキーをやっている、「尊敬する人は?」と聞かれれば「木村公宣」と答えるほどのスキーファン。
まあ、雪国育ちの人から見れば大して上手くないと思いますが、中学・高校くらいの頃の冬はCSのJスカイスポーツ(現・Jスポーツ)でアルペン・ワールドカップを見、それを週末にザウスとか関東近郊のスキー場でフィードバックする(いや、できてなかったけど)、という青春時代を過ごしていたのです。

ただ、スノボはやってなかった。
正確にいえば、今もやってない。
でも「やってみたいなぁ〜」という思いはあったんで、スノボをやるために友達数名とザウスに行ったわけです。

私の家からザウスに行くには、武蔵野線を使う。
彼が言葉を発したのは、ちょうど船橋法典駅にさしかかったころだったと思う。
「ウインズって声高いよね」
そう言った彼は、後に東大院を卒業し、今は外資系金融機関で働くバリバリのエリート。
もちろん、その頃は一介の高校生であったわけだが、彼の聡明な頭脳を知る私は「船橋法典」という場所を踏まえた上での、エスタブリッシュメントなカンバセーションだと察知し、次のように答えた。
「ウインズって、どこのウインズ?」
一瞬の沈黙が流れる。
「いや、だから……ウインズって声高いよね?」
「だから、どこのウインズ(←ちょっと怒り気味に)」
「お前、馬券売場のこと考えてない?」
その通りだった。
そして、彼が言っていたのは「WINS」ではなくアイドルグループ「w-inds.」であることは、ここを読む、明晰な頭脳をお持ちの皆様にはお分かりのことだろう。

げに恐ろしきは、勘違いである。

2012年5月30日水曜日

ちょっと硬めの文章になったけれど、要するに「みんなも気をつけてチョ」っていう話

「やっぱりラオアルか」——産經新聞の記事を読んだとき、私はそう思った。

人民解放軍総参謀部第二部。
中国語の略称でラオアルと呼ばれるインテリジェンス組織は、ときに駐在武官として、ときに(今回のような)書記官や民間人などにアンダーカバー(身分偽装)して、世界中で人的諜報活動を行っている。

中国のインテリジェンスは伝統的に「寝業」を多用する、と言われている。
対象国の政財界やマスコミなどの人間と懇ろな関係を築き、政治工作、世論誘導を行なうというものだ。
無論、日本の行政もそれを知っているから、例えば警視庁の外事課は極秘裏に麻布に拠点を設け監視したり、周辺人物やときには大使館員を協力者に仕立て上げたりするなど、対抗措置をとっている。

「だとすれば、今回の事件は氷山の一角では? 」と感じる方も多いだろう。
私もそう思う。
それだけでなく、日本側も諜報活動の存在・形跡を認めながら、闇に葬ってきたことは山ほどあるはずだ。
もし、いちいち摘発していたら、諜報活動の一端を掴むことはできても、全体像を把握できなくなってしまう。

今回は中国の「長い手」が日本の政府中枢にまで伸びていたから、警察としても公にすべき、あるいは、そうせざるを得ないと判断したのだろう。
(もっとも、警察庁サイドは現政権に大きな不満を持っているともいわれているから、お灸を据えるという想いもあったのかもしれないが)
一方のラオアルも今頃、収集した情報の真偽を確かめるのに必死となっているかもしれない。
諜報活動を察知した日本側が、意図的にディスインフォメーション(偽情報)を件の書記官に渡した可能性も、否定できないからだ。

筒井副大臣に対して「軽率すぎる」と思った方も多いだろうし、実際、同僚の民主党議員から同様の声も聞こえてくる。
また、このように書くと、何か途方もない世界のことを語っているように感じられるかもしれない。

しかし、どこかの国のスパイが次に狙うのは、このブログを読んでいるあなたかもしれない。
そして、あなたとスパイが懇ろな関係になり、さらにそれが公になったとき、「外為法違反」や「不正競争防止法違反」などの罪状で逮捕状を突き付けられるのは、あなただ。
スパイは外交官特権を行使して、すぐに帰国してしまうだろう。
——今回の書記官のように。

2012年5月7日月曜日

開業申請

まったく更新していなかったにも関わらず、時たまこちらのブログも見てくださっている方もいるようで、ほんと頭下がります。

さて、今さらながらだけど、個人事業の開業申請に行ってきました。
思いのほか早く終わりましたねぇ。
まあ、納税のときはめっちゃ混むんだろうけど。

屋号は「藤麻事務所」です。
シンプルでいい感じでしょ?
正直、こだわりを持たずに「簡単なのがいいかなぁ」と思って名付けたんですが、屋号の診断サイトで占ってみたら……
(クリックすると拡大ですよ)
おお、なかなかいいじゃん(笑)

2012年2月28日火曜日

「エルピーダ」とことえりで変換すると「LPだ」が最初に出てきた

最近、こちらのブログは全く更新していなかった。
だからというわけではないが、「エルピーダ民再法申請」のニュースで思い出した本があったので、引用してみる。

「われわれはなにもはじめから日本を信用していなかったわけではない。誠意を尽くして日米の協定をまとめあげるよう努力してきた。だが、その都度日本はアメリカを欺き、裏切ってきた。当然われわれも日本を友邦として扱わなくなる。再び騙されないように、交渉に身構えて臨むようになる」

これは、米国政府の対日ネゴシエイターの弁だ。
同者は続けて、こう言う。

「もし私の言い分に不満があるなら、日米の半導体協定を見てほしい」

この言葉は、手嶋龍一著『たそがれゆく日米同盟』に収められている。
同書によれば、1980年に米国61パーセント、日本26パーセントだった半導体の国別シェアは、4年後に米国51パーセント、日本40パーセントへと変化する。
当然、焦るのは米国の方だ。
しかも、——これは現在のアップルやフェイスブックなど、米国IT企業の隆盛にも通じるところだが——ハイテク産業は米国経済にとって「最後の砦」だった。
米政府は日本企業によるダンピングの存在を訴え、日米間で半導体交渉が始まる。

結果、1986年には日本政府が半導体企業のダンピングを監視するという内容で合意するのだが、これには「密約」があった。
要約すると「米国は日本国内の米国製半導体シェアが5年間で20パーセントを超えるよう、期待する」というものだ。
以下、再び引用する。

マイケル・スミス次席通商代表は、なお日本側にダメを押した。
「5年間で少なくとも20パーセント以上の半導体シェアというが、これを日本側のコミットメントと受け取ってよいのか」
これに対して、通産省(当時、筆者註)側は次のように応じている。
「そう受け取っていただいていい。(中略)20パーセントのシェアは必ず実行してみせる。われわれMITI(旧通産省の英略称、筆者註)を信じてほしい」
だが、このとき通産省の振り出した「手形」は、今日もなお落ちていない。

誤解なきようにあらかじめ申し上げておくと、私は米国の肩を持っているわけではない。
最低限の市場監視は必要だとしても、ある特定国の、特定製品のシェアを誓約するなど、無意味なことに感じる。
それよりもこの事実から、当時の「日の丸半導体」がいかに強かったかを教えられる。
エルピーダの今を見る限り、まさに隔世の感を受けずにはいられない。
「もう半導体なんか、新興国に任せればいいじゃないの」と正直言って私は思ったのだが、日本のDRAMメーカーはエルピーダが唯一の存在だという。
DRAMはデジタルテレビ、デジカメ、それにスマートフォンなど、その用途は非常に大きい。

半導体は非常に厳しい業界であるし、今回の件は残念だけれども、日の丸半導体の陽が再び上ってほしい、と願う。

2012年1月29日日曜日

タカタカ旋風を、もう一度

《なんで急に走ったんだ》
監督は聞いた。選手はキョトンとした表情をしている。
《なぜって、サインが出てたよ》
《盗塁のサインなんか出してないぞ》
《いや、出てましたよ》
《コーチのほうがよく見ていたはずだから聞いてみろ》
三塁コーチボックスにいた選手は、当然の顔をしてこういった——《先生、盗塁のサイン出していたじゃないですか》
《…………》
いうべき言葉がなかった。ユニフォームのその部分に触れてしまったらしいのだ。多分、夢中になっていたせいだろう。
そのことがあってから、飯野監督はベンチのなかで、ますます無駄な動きをしなくなった。

何度読んでもこのシーンで思わず吹き出してしまう。
山際淳二の名著『スローカーブを、もう一球』で描かれているこの野球チームは、1980年の高校野球秋季関東大会で準優勝し、春の甲子園への切符を手にした。
そして今年の春、このチームは31年振りに甲子園の舞台に立つことになる。

高崎高校——近隣の校と区別するために、このチームはタカタカ(校)野球部と呼ばれている。
タカタカは決して野球強豪校ではない。
それどころか公立トップクラスの進学校であるため、卒業生もスポーツ選手や文化人より、福田赳夫、中曽根康弘といった政治家の方が目立つ。
そんな学校の野球部が、甲子園に出場する。

「あの本は、甲子園出場の成功までしか書いてないんですよね。実際は、その後浮足だって失敗した。次はそうはいかない」
80年〜81年チームの中堅手で、現在タカタカ野球部監督を務める境原尚樹は言う。

かつて、関東大会で吹き荒れたタカタカ旋風。
今度は甲子園という大舞台でそれを見てみたいと思う高校野球ファンは大勢いるだろう。

春の甲子園は3月21日に開幕する。